雑記

荀子 君子の学と小人の学

荀子曰く

君子の学ぶや、耳より入りて心に箸(つ)き、
四体に布(し)きて、動静に形(あらわ)る。

小人の学は耳より入りて、口より出ず。
口耳の間僅に四寸のみ、
竭(いずくん)ぞ以て七尺の軀(からだ)を美(よし)とするに足らんや。

意訳

君子の学びというものは、耳から入って、心について、全身に広がって、動静に表れる。

徳のない者の学びというのは、耳から入って、そのまま口から出る。

口と耳の間はわずかに四寸しかない。

なぜこれで七尺の身体を美しくすることができるだろうか。

自分なりの解釈とコメント

性悪説、つまり、人間の本質は悪であり、修養によって善の状態になるという説を唱えた、荀子の言葉です。

近年、マスコミやSNSを経由で手軽に情報を手に入れることができるようになりました。

しかし、その手に入れた情報を、自分の中で咀嚼して、心や行動に反映させないままに、そのまま口から出したり、SNSにコメントしたりしてはいないでしょうか?その情報は正しいものですか?その発信した情報は、本当にあなた自身の考えでしょうか?

入ってきた情報をそのまま口から出すのでは、スピーカーと変わりがないですし、情報の発信者の中には、自分の意見が広く拡散することが望ましいと考えている人は多く、世の中を変えたいと思って情報を発信している体を取っているとしても、そもそも、つぶやいたくらいでは世の中は変わりませんし、本気なら本気なりの動き方というものがあります。そういう方々は、周囲にまさにスピーカーになって欲しいという意図で情報を発信しているのかもしれません。

対話ではなく賛同者、スピーカーを望む姿勢は、賛同者に対しても人間的に扱っているように私は思えません。

そういう人たちとは距離を置いて、手に入れた情報は自分で一度かみ砕いて、自分の行動にどう活かすべきか、それとも取り入れるべきでないか考えて、自分の成長の糧とする姿勢が徳を積むということなのでしょう。

荀子はその先に善というものがあると言っているのかもしれませんね。