老子曰く
学を為せば日に日に益し
道を為せば日に日に損す
之を損して又損し
以って無為に至る
無為にして為さざる無し
天下を取るは常に無事を以ってす
老子の言葉は難解で、解釈の余地が広く、その分いろいろな考察ができて面白い。
今回紹介した文を自分なりに解釈してみたい。
1学を為せば日に日に益し 道を為せば日に日に損す
学を為せば日に日に益し
道を為せば日に日に損す
学びを為すというのは、知識を増やす行為である。ここは解釈しやすい。
道をなすというのは、(知識を)失っていく行為である。これはどういうことかというと、自分なりに以下のように解釈してみた。
道というのは本質であり、道を為すというのは本質に迫る行為である。本質に迫る行為というのは無駄なものを切り捨てていく行為であり、日に日に雑多なものが失われていく。
少し話のスケールを落として例示すると、プレゼンに向けてたくさん勉強して資料を作ってみて、その後本当に伝えたいこと、本質をその中から峻別するために、スライドや文章を削っていく行為が近いかもしれない。本質までに研ぎ澄まされるとどんどん必要な内容量は減っていく。
2之を損して又損し 以って無為に至る
之を損して又損し
以って無為に至る
本質を突き詰めていき、無駄なものを削って本当の本質までたどりつくと、
(自らは)何も為さないというところに至る。
3無為にして為さざる無し 天下を取るは常に無事を以ってす
無為にして為さざる無し
天下を取るは常に無事を以ってす
(自らは)何も為さないといっても、何も達成しないということではない。
天下を取るには(自ら)何かを為すということなしに行うことだ。
これは、自ら表立って事を為そうとするのではなく、自然とそうなるように、状況を作り出すことだと私は解釈する。
道を為す、ということ以外の、本質以外の部分には、例えば’自分が、自分こそが何かを為すのだ’という、虚栄心や自己顕示欲であったり、報酬への欲求であったり、そのような不純物が含まれており、自然にそうなるように立ち居振舞うことによって、自ら何かを為したということ無しに、為されるようにする、ということではないだろうか。
これは上善如水にも通じる考え方の様に思う。