マネジメント

考える病院経営①「考える」ということについて

「考える」ということについて

今後、考える病院経営というシリーズで「考える」という事に重きを於いて病院経営について考えたことを連載していきたい。

Peatixで月1~2回講義形式のイベントを実施して、その内容も踏まえて記事にしていく予定。

https://thinkhm.peatix.com/

取組み成果の差の要因の一つは「考える」ということをしているか否か

筆者は人の能力にはそれほど差はなく、とびきり優秀な人や劣っている人というのはいないと考えている。しかし、取組みの成果には差が生まれてくる。なぜ差が生まれるのかについて、一つにはたくさんある取り組むべき事項の選択肢のなかからどれに時間をかけて取り組んで来たかという取組みの長さという要素があり、もう一つには、物事に取り組む上でしっかり考える機会を持っているかどうかであると私は考えている。ここでは後者の、物事に取り組む上でしっかり考えるということについて深掘りしていきたい。

早い思考と遅い思考

日常になっている事に対して人は「自動的」になっており、通常あまりよく考えずに行動している。ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者ダニエル・カーネマンは著書「ファースト&スロー」の中で、人間の脳は自動的で処理が早い「システム1」と意識的で処理の遅い「システム2」の2つのモードで思考を処理するとしている。自動的であることは効率的に物事を進める上では重要なことではあるが、経営をする上では自動的な判断では無く、熟慮した上で決定しなければならない場面に多く遭遇する。本来は熟慮しなければならない場面で、早い思考に流されて、誤った意思決定をしてしまった結果、後で問題となり、なぜあのときそのような意思決定をしてしまったのだろうかと後悔する場面を経営では度々経験する。このように物事についてじっくり「考える」、という姿勢は上手く経営をしていく上で非常に重要なことだと考える。

考えることの歴史

経営ではじっくり考えるという行為は非常に重要であるが、人は考えるという行為をいかにして行なってきたのだろうか。考えるという行為の起源をたどると、古代ギリシアで、この世はどのように成り立っているのだろうかという疑問に対して考える、自然哲学に行き当たる。自然哲学者タレスはすべてのものは水でできていると考え、デモクリトスはすべてのものは原子でできていると考えた。原子でできているというのは現代において紛れもない事実であるが、考える、という行為のみでそこまで至るのは驚くべきことのように思われる。

現代にも通用する思考方法について、既に紀元前の古代ギリシア時代に基盤が確立している。特に重要な人物として、ソクラテス、プラトン、アリストテレスがいる。

ソクラテス

我々が知っていると思っている事について、具体的に問われると何も知らない事に気づかされることがある。ソクラテスは相手に問う、という単純な方法で物事を深く考える手法をとり(問答法)、当時の有識者がいかに物事を曖昧に捉えていたかを白日の下にさらした。この行為は有識者から恨みを買うこととなり、ソクラテスは裁判にかけられ処刑されることになったのだが、彼の残した問答法は現代でも思考を深めるためには非常に有用な方法となる。

病院経営の例を挙げよう。記事をみてくれている皆様の病院や会社には組織の理念が定められているだろう。理念について、あなたの病院の理念は何ですか?と問われれば、その病院の定款やホームページに書かれている理念の文章を答えることになる。千葉大学医学部附属病院の理念を例に挙げると「人間の尊厳と先進医療の調和を目指し、臨床医学の発展と次世代を担う医療人の育成に務めます」が病院の理念だ。この理念に対して、人間の尊厳とはどのようなものか問われればなんと答えるだろうか?答えの例として、身体の安全や精神の安心をまもり、患者さんの自己決定を尊重することといえるかもしれない。それでは、安全安心を守るとはどういうことだろうか?自己決定の尊重と身体の安全が矛盾することはないだろうか?人間の尊厳と先進医療の調和とはどういうことを言っているのか?次世代を担う医療人の育成と安全安心は矛盾することはないだろうか?これらの達成のために具体的に何をしているだろうか?など、通常、考えなければならないことは一つの問を切っ掛けに次々出てくる。各病院や組織の理念について、深掘りして考え具体的な行動にまで落とし込めている人は限られるのでは無いだろうか。自分の組織に置き換えて考えてみてほしい。

プラトン

プラトンは問答法を相手に問うのではなく、物事にはイデアという本質が元々存在していると考え、自らに問う事によって深い思考を行ない、哲学の基礎を固めるに至った。ソクラテスの時と同じように、ここでは公立病院のあり方を例にとってみたい。公立病院のあるべきあり方とはどのようなものだろうか?公的な施設は、市民の民意をくんで、市民の幸福のために運営される。では市民の民意とはどのようなものであろうか。医療は基本的に困った時に利用されるものであり、それでは市民が何に困っているかが考えるべき事項となる。市民の困っている事に対して、現在の公立病院はどのように向き合っているだろうか?向き合っていないとしたら、どのようにするべきだろうか?一方で、市民の民意の通りにして市民の幸せにつながらないということはないだろうか?民意と異なる行為について、市民の幸福につながる事を説明できるだろうか。・・・皆さんの身近にある公的病院はこれらの質問にしっかり答えられるだろうか。

アリストテレス

プラトンはアカデメイアという、現代のアカデミアの語源となった教育機関を設立し、後進を育成した。そのアカデメイアで学んだ中にアリストテレスがいる。アリストテレスは、世の中を見たままに深く観察する事により真理に至ると考えていた。これは現在の科学や学問の基本的な考え方であり、飽くことなき好奇心を持って現実を探索し、それらを分類整理しながら諸学の基礎を確立したので、アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれることがある。

アリストテレスの深く観察をするという方法で良い病院とは一体どのようなものであろうか?という例について考えてみたい。実際良いと評判の病院をよくよく観察してみると、明るい雰囲気で活気がある、治療の成績が良い、不安に対してよく相談にのってくれる、災害時に頼りになる、病院や医師がメディアによく取り上げられている、などが挙げられたとする。更に、なぜそうなっているのかよくよく見てみると、病院の理念が末端まで行き届いている、組織体制がしっかりしている、経営が安定している、などが挙げられ、更にそれらについてよく見てみると・・・というように深掘りして詳細を観察していくことで良い病院というものの実態がはっきりと見えてくる。

カント

時代は飛んで中世以降、近代哲学の基盤を整えた人物にカントがいる。カントは考えても答えが得られない様なものを扱うのではく、認識出来るものを扱うべきとし、確実に存在している五感で捉えられる領域を科学とした。一方、意思というものは確実に存在しているが五感で捉えることはできない。この意思を扱う事を哲学とし、後の学術のあり方の枠組みを作った。カントはこれに加えて倫理学の基礎を築き、「すべての人が正しいと思うよう行為せよ」(道徳律)を説き、これは意思決定をしていく上で非常に有用な考え方となっている。

ヘーゲル

次に着目したい哲学者にヘーゲルがいる。近年、ダイバーシティという概念が取り沙汰されて重要視されるようになっているが、ヘーゲルの考え方はその本質的理解を助けてくれる。ヘーゲルは、世の中は認知で成り立っているといい、認知は争い、矛盾を乗り越える事によって進化するという弁証法を提唱した。

医療での例を挙げよう。 命を救うことは正しいという命題があるのに対して、末期状態での過剰な救命行為は正しいのか?という反命題がある。これらについて考えると、人が死ぬというのは不幸であり、その不幸を止める行為は正しい。一方で、救命をしたからこそ生まれた不幸が確実に存在する。ではより細かく考えて、終末期に最後まで救命のみを目的に考えることが正しいかと問うと、状況によっては一見正しいとされた救命行為が必ずしも正しいといえない状況が存在するため、そのような状況の時にどうすべきか向き合うべきであるという、より高度な認知へと進化する。この進化を止揚(アウフヘーベン)という。ACP(Advance Care Planning)、すなわち終末期等将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスは、終末期医療の議論の果てにたどり着いた一つの考え方だろう。このように、議論や価値観の多様性により生ずる矛盾に向き合うことが進化を促す。

このヘーゲルの弁証法を前提に考えると、価値観が同質な組織と、様々な考え方を持った人達が議論しながら進めることができる異質性・多様性のある組織では、考え方の進化が促されるのは後者の多様性のある組織だというのが理解できるのではないだろうか。弁証法を理解すると、議論するときにあるべき姿勢というのは、論破を目的とするのではなく、進化を目的とするべきというのも理解できる。例えば、議論の勝敗というものを別の観点から見ると、議論に勝ったものは特に得るものは無く、議論に負けたものは、今までの自分では持ち得なかった新たな認知を得ることにつながる。得たものは議論に負けた方であり、議論における真の勝者とは果たしてどちらだろうか。

マルクス

資本家と労働者の関係性について弁証法的な発展を論じた者にカール・マルクスがいる。

マルクスは人間の行動は物理的環境により規定される(唯物論)とし、社会の発展はその社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされるとした。社会は生産力により必然的に資本家と労働者の関係などにはいり、生産力が発展すると、生産手段を独占的にもつ資本家と持たない労働者の関係に矛盾、すなわち直接の生産者である労働者ではなく資本家が生産した結果についての分配権をもつ事態が生じ階級闘争が起きてそれを乗り越えることで社会が発展するとしている。

まず唯物論について注目すると、近年の唯物論的な考え方を記した著書にジャレド・ダイアモンドの「中・病原菌・鉄」がある。ユーラシア大陸の民族が他大陸に進出したのはユーラシア大陸民族が優れていたからでは無く、緯度が同じ広大な土地と家畜化が可能な動物が多数いたことなど、環境的な要因としている事を記すなど、人種的な能力ではなく、その置かれた環境により歴史は発展してきたことが述べられている。

病院の業績に例えるならば、ある病院が優れているのは、その周辺環境が恵まれていることから来るものと考えられる。地域に他の産業が多く、利便性も高い場合は人口が多くなり、人材も多くなる。一方で、天敵となる様な競合がいないということが病院の生き残りの重要な環境要因の場合もある。

院内における業務においても環境的な要因が結果に影響するという考え方は重要だ。例えば、医療事故の一部は、間違いが起こり様のない環境を用意することによって防ぐことができる。具体例として、手術室などで医療用ガスを用いる際、酸素と笑気などのバルブが挿し間違いがないように、接続部分の構造が異なっており、間違って接続しようとしても接続できなくなっている。環境が行動に与える影響の重要性を理解するとこのように間違いようのない環境をいかに作って行くかも重要であることが理解できる。

次に資本家と労働者の関係について考えてみよう。マルクス哲学では資本家は労働者を酷使するほど資本家同士の淘汰に勝ち抜くという前提で考えられていた。しかし、現代においてはこれまでの弁証法的な発展により社会の成熟が進み、法的に労働者の保護がされ、過度な搾取構造への規制がされるようになった影響で、労働者の負担を増やす事無くより生産性を高めた者が勝利し、対応できない者が淘汰される世の中となってきた。これが昨今の働き方改革、労働生産性の向上だと考えられる。

ピケティ

一方で、トマ・ピケティは資本家と労働者の格差の拡大について構造上解決ができていない実態を明らかにした。トマ・ピケティは著書21世紀の資本論の中で、「資本主義の富の不均衡は放置しておいても解決できずに格差は広がる。格差の解消のために、なんらかの干渉を必要とする」とした。根拠となる数式が「r>g」でありrとはリターン(return=資本収益率)、 gとはグロース(growth=経済成長率)を示している。資本への投資によって得られる利益の成長率は、労働によって得られる賃金上昇率を常に上回る。一つの会社に置き換えて考えると、会社の収益率や資産の増加率が賃金上昇率よりも大きくなっている状況であり、例えば収益が3%増加したとしても、給与は1%も上がらないということはよくあることではないだろうか。これが将来的に緩和されるように進化していくと仮定すると、特に人口減少社会においてはいかに労働者への還元率を高めることができるかという視点も今後重要になるかもしれない。
  

有形資産と無形資産

また、資産と言ったときに、近年、金銭などの有形資産だけでなく無形資産にも着目される中、労働者に還元される物は必ずしも有形資産だけではなく、組織文化や習得できる技術など、無形資産をいかに還元するかという視点も必要になるかもしれない。有形資産というのは、建物、情報通信設備、機械設備、車両などを指し、かつて工場などの資産は有形資産が中心であった。一方無形資産とはソフトウェア、データベース、研究開発、鉱物探索、娯楽創造、文芸芸術の創作、デザイン・設計、研修・訓練、市場リサーチとブランディングやビジネスプロセス・リエンジニアリングなどであり、財務諸表上には一部のソフトウェアを除いて資産としては現れにくい項目で高付加価値な産業を行なう上では必須と言える項目が並んでいる。近年では会社の資本の中で無形資産は有形資産を上回っているという。

医療機関において、無形資産の一つである研修・訓練に長けていると考えられている医療機関では、研修医やその他の人材も集まりやすくなっている。これは、そこで働くことにより、より多くの資産が得られる、という考えのもと集まっているとも考えられる。

以上、考える、ということについて改めて考えてみた。おそらく哲学や経済学の専門家から見ると大変ざっくりとした解説になってしまったと思われるが、活用してこその哲学ということで大目に見ていただきたい。例に述べてきた様に、医療においても問題を解決していく上でしっかり考える機会をもつ、ということは非常に重要なことであると考える。

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